「ど~ん」と腹に響く太鼓の音。「~ん」がいい。
余韻という一言ではとても言い表せない、心に滲み透るものがある。
<出逢い>
私が入社した年(昭和59年)の9月、世界最大の大太鼓「ん太鼓」が完成し、当社へ運び込まれた。
直径2m40cm、台車も含めると高さ3m、重さ3tの一木造りの大太鼓だ。
バットのようなバチで思いきり打つと、すさまじい音がうねりになって十秒ほど続く。
10月から始まった「名古屋城博」に出展し、59日間、延べ4万人がこの「ん太鼓」を身ら打った。
一打入魂チャリティーのイベントであった。この時、1時間に1回ずつ「ん太鼓」の演奏があり、
演奏は岐阜県関市の創作太鼓の宗匠 関刀鼓(かんとうこ)一門が行った。
彼らが私に和太鼓のウンチクを教えてくれた。
「太鼓の皮は4才の雌の和牛が一番いい」
「天照大神が天の岩戸に隠れたときに、神々が岩戸の前で打ち鳴らしたのが太鼓の始まり」
「鬼太鼓座と鼓童」
「太鼓にもリズム符という譜面がある」
「心と体で打て」
それから2年間、私は休みを取ると関市の太鼓道場へ通うことになった。
<鯱龍太鼓>
当社は総合レンタル会社である。太鼓は貸すほどある。
太鼓の貸出が集中するのは年に一度、盆踊シーズンだけである。
しかも、太鼓は打たないと皮が固まってしまい、長持ちしない。
そんな理由をつけて貸出用の太鼓で練習をした。
音が大きいから、昼休みにやっていると人が集まってくる。
そんな中で従業員で6名ほどが練習に参加した。
名古屋には、熱田神宮の宮太鼓から発展し、バチを指先で回転させる「尾張新次郎太鼓」のように
すばらしい伝統芸能としての太鼓があるが、勇壮で華麗な太鼓は未だ見たことがない。
どうしても「ん太鼓」を打つ関刀鼓一門のような太鼓が打ちたい。
宗匠自らが我々の太鼓チームに名前をつけてくれた。
名古屋城の金のしゃちほこの鯱と中日ドラゴンズの竜を龍として、「鯱龍太鼓」はどうだ。
我々の「鯱龍太鼓」ができあがった。当社の社長もバックアップを約束してくれた。
練習は、会社の倉庫の一角を借りた。夏は暑く、冬は寒い。
ハングリー精神を養うには好適な場所だ。
業務終了後、週二回、練習を続けた。
<演奏>
はじめて人前で演奏したのは、養護施設のバザーでのボランティアだった。
ステージもない野外であり、まだ技術的に未熟な我々であったが、聞いている人の心を高揚させる気迫は少なくともあっただろうと思う。
太鼓は「どん」としか音がでないのだから、「ヤー」「ヨッ」「ハッ」と音の出る声は貴重な楽器である。
演奏後、身障者が大喜びでサインを求めに来た。
四国には精薄者養護施設で太鼓チームを運営しているところがある。確か「黒潮太鼓」だったと思う。
太鼓がリハビリによいとのことで、私も演奏を見たが、すばらしい。
演奏途中でバチを落とした子供がいたが、あわてずにすっと拾って一礼をした。我々も見習わなければならない。
普通はあわてて拾い、失敗をごまかそうとするものだ。
名古屋の南、東海市民ホールで東海市吹奏楽団のコンサートに出演させてもらったことがある。
我々の創作曲も数曲披露したが、その中で太鼓劇「鬼の村まつり」というタイトルをつけたものがあった。
太鼓を中心にした劇で、シナリオを私の女房に書いてもらった。
動物のお面をつけて、太鼓を打って楽しんでいるところへ、鬼が現れ、動物たちは逃げるのだが、
鬼がはじめて太鼓にさわって打ってみるとおもしろく、続けていたら楽しくなって動物たちと
仲良しになるというストーリーだ。これがなかなか評判がよかった。
図に乗って続編も作ろうかといっている。
<指導>
パーティー・結婚披露宴・盆踊りなど、いくつかの演奏を行っていく中で、演奏先のホテルをまちがえて、タクシーで大至急移動したり、太鼓の搬入で皿を割ったりと失敗も数多くこなしていた。
しかし概して、評判はよく、数多くの支援者のおかげで、愛知県太鼓連盟へ加入することができた。
そんな中、愛知県警察本部刑事部の年末の恒例行事に「刑事親交会」という、戦後からずっと続いている行事があり、そこで刑事さん自らが、必ずレベルの高い余興をやらねばならない慣習がある。
今年は和太鼓をやるので我々に指導してほしいと依頼があった。
3ヶ月で全くの素人に3曲を覚えてもらわなければならない。
約十名に週2回、2-3時間の指導をした。
我々も人に教えることは一番自分の練習になり、バチの握り方から、足の位置、構え、手首の動かし方、目線の位置まで徹底的に行った。教えられる刑事さんも真剣だった。
通常、太鼓を打つ姿勢で30分構えているだけで足が痛くなってくる。それを2時間ぶっ通しで続けるのだ。しかも、練習前からランニングしているし、日中は署内で段ボール箱を打って練習している。
こういう人たちに一般市民は守られていると思うと安心する。
「飛翔太鼓」というチーム名をつけ、初舞台となった。
会場には署長をはじめ、県知事、市長ほか警察関係者・報道関係者、500人を越える。
舞台上の顔には緊張が見える。腹から声が出るか、バチは落とさないか、我々はわが子を見守るような心境だ。
ステージが終わった。我々も感動したが、当人たちは感極まっていた。
たかが「ど~ん」としか音のでない太鼓だが、それに関わる人間にとって、心に響く音である。
-完- (東芝ITユーザ会投稿文より)